●● おまけ。 --- こてっちゃんとハル ●●
陽の照りつけるプールサイドよりも、更衣室は余計に夏を意識させる。
鼻につく、塩素の匂い。髪から滴り落ちる、水。
水泳は昔から好きだった。泳ぐ間は、どこまでも一人になれる。けれどそれは孤独ではなかった。心地好い、しんと頭の芯の真が冴え渡っていく感覚が、心を鎮めてくれるせいかもしれない。シャワーが日焼けした皮膚を弾き、少しだけひりひりと痛んだ。
「こてっちゃん。準備出来た?」
更衣室の外側から、ハルの声が響いた。ハルは何が気に入らないのか、入学当初から俺のことを一方的に敵視している。
「まだ。今、シャンプーしてるとこ」
言いながら、掌に柑橘系の香りのシャンプー剤を、一押しする。
「ゲッ、んなの家帰ってからでいーのに」
「……こないだ、塩素臭いからどうにかしろって言ったのはお前だろう?」
何のことー? ハル、わかんないー。間の抜けた返事が帰ってきた。
(全く、態度悪ィよな)
すぐに泡を流し、タオルで水分を吸収させる。
ハルとはこれでも、よく話すようになったものだと自分で思う。
元々、話をすることは好きだ。馬鹿を言い合うのも好きだ。
けれど。
自分でも良く分かっている。俺には、少し人より冷めた部分がある。
『それに俺、永久ちゃんと蓮子サンには、ちゃんと関わろうって決めたから』
以前、咄嗟に出た言葉。よりによって好きな子の前で言ってしまった言葉。用意していた言葉よりも、上辺を飾った台詞よりも。咄嗟に出た言葉にはより本音が出てしまうもの。
人とつき合う時、どこか一歩引いている自分がいる。ある程度までつき合っても、それ以上は他人のテリトリーには入らない。自分のテリトリーには入らせない。
そういう部分では、ある意味俺とハルは似たもの同士なのかもしれない。ハルは、蓮子サンや永久ちゃんや、自分の認めた者以外には平気で牙を剥く。例え、それで血を流す者がいようと、見向きすらせずに。
けれど俺にはなかった。そこまでしても一緒に居たいと思える存在は。
「なぁ、ハル」
何? 間の抜けた声が届く。
「もしかして、そこに永久ちゃんと蓮子サン居る?」
「いなーい。レンレンは、教室に小椋っち迎えに行ってるとこ。小椋っち、数学の小テスト補習だったからー」
「そっか。……なら、いいや」
制服に袖を通し、あっという間に着替えは終わる。少しだけまだ水を含んだ髪のせいで、ワイシャツの肩部分が水色に透けた。
「こてっちゃんさー、小椋っちのこと好きなんでしょ」
「……悪いか?」
「悪かナイけどサー。知ってる? この頃、小椋っち、クラスの男共に人気なんだよー。ホラ、よく笑うようになったから」
知ってる。……俺は頭を思い切り掻き毟った。
永久ちゃんは、どんどん可愛くなっていく。何度も思った。あの笑顔が俺だけに向けられたモノならば。身勝手極まりない考え方ではあるけれど。
「こてっちゃーん、まだぁ? ハル、暑いのきらーい。ねー、早くー」
「あ、今行く」
(……こりゃ、相当頑張らないといけないな)
内心頭を抱えたまま、俺は蒸した更衣室を後にした。
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